今日また、“反抗期”という言葉を耳にしました。
じつは先日も塾の講師との話で、こんな話があったばかりです。
「受験生の塾生が反抗期で、お母さんが話ができない(=コミュニケーションが取れない)ので困っている。私(=講師)が間に入って話をしている」と言う内容です。
和田塾の講師の出番が増えて、またお役に立てて大変嬉しい話でもあるのですが、私は“反抗期”という言葉を聞くたびに思う事があります。
“反抗期”という言葉で子供の課題を片付けてはいけない。と。
この言葉を使う事によって、“反抗期なんだからしょうがない”と、親も周りの大人も、子供達の抱えている課題や問題を、解決しなければいけない課題とわかりつつも“あきらめて問題の解決をしようとしない”傾向を感じます。 また更に、抵抗力の強い子供に対してこの言葉を使う事で大人が楽になろうと言う感じを受ける事もあります。
反抗期と呼べるような時期があることはもちろん認めますし、私も親ですから実感として良くわかります。
しかし、反抗期でも、例えば、前述の親と話すべきことは話さなければなりませんし、最低限の生活上のマナーを守らなければ、また、守らせなければいけないはずです。反抗期だからと言って放置する、またはあきらめてはいけないと思うのは私だけでしょうか?
私は心理学や青少年教育の専門家ではありませんが、確かに、反抗期といわれる自我の芽生えの時期や、思春期の時期は、そうでない時に比べて、親そして大人の言う事に反発しがちですし、言う事は素直に聞かない傾向はより強くなります。
が、私達大人は、反抗期でない時期にかけるエネルギーの何倍を費やしてでも、するべきことはさせる。守らせることは守らせる。という心構えで子供達に接しなければならないのではないかと思います。
私自身も、子供の成長と共に、親としてのしつけや指導が、簡単に行かなくなっている事は感じますし、親の勝手な考えをそのまま受け入れる様な事は無くなってゆく事を実感しています。
親の想いと子供の考えのギャップもどんどん広がってゆきますし、その溝はどんどん深まっていくことも事実でしょう。
でも、それを“反抗期”という言葉で簡単に片づけてしまうのではなく、真正面から子供と向き合い、時間とエネルギーを掛けて、その溝を埋める努力をすることこそが必要ではないでしょうか。
“反抗期”という言葉で片付けないおとなとして、私自身も日々子供に向き合ってゆきたいと思います。
2011.12.10
大場規之
昨日カナダから来られたお客様が、こんな話をされました。
Aがモノを置き忘れた
↓
Bがそのモノを盗った
日本では、Bの、「モノを盗った行為」に対して非難が集中する。
Aの、モノを置き忘れた行為には少しの注意。
カナダでは、Bの、
モノを盗った行為ももちろん非難されるけれども。
Aの、「モノを置き忘れた行為」がかなり非難される
日本は、自らの行為に対する「責任」が希薄の様な気がする。と。
すなわち、自己責任の意識が低い。と。
少し前も、やはりアメリカと日本の考え方の違いで、こんな話がありました。
何か、不十分な理解で起こしたミスに対し、
日本は「理解できませんでした」で済まされるケースが多い気がするけれども、
アメリカでそれを言えば、「なんで理解できるまで聞かなかったんだ?」と強く非難される。
「理解できるまで聞かなかったあなたは責任が大きい」となるんだ。と。
アメリカ社会ではこんなところで「自己責任」を問われる。と。
自己責任と言って良いのか、その言葉が適切かどうかわかりませんが、
最近特にこの「自らの行為で起こった事に対して自らが責任を取る。他人のせいにしない。」という当たり前の事が当たり前で無くなっている傾向が強くなっている気がします。
働ける健康な若者達が、自分に適した仕事が無いと言ってゲームをしながら、生活ができないと言って生活保護を受ける。
遊興費のために借金を重ねて苦しくなりながら、金利の高い借金をさせる環境を放置してきた社会が悪いと平気で言う。
毎日のニュース、報道を目にし、耳にすると、悲しい気分にさえなります。
冒頭で日本と海外を比較をしましたが、全て日本が悪くて海外が良いという事でもありません、
例えば、昨年トヨタのプリウスなどのハイブリッド車が急発進、急加速などで死亡事故を何件か起こしたという事件。国レベルでの争いにまでなったこの事件も、トヨタの謝罪と多額の補償、リコールで一応おさまりました。その後の、何ケ月後かにひっそりと発表されたアメリカ側の様々な機関の結論は、トヨタ側にシステム上の不具合はなかったと言うものでした。あの騒ぎはなんだったんだとトヨタは言いたいでしょう。
これなどは、アメリカの「行き過ぎた感のある消費者保護」の一例かもしれません。
「消費者は何でもメーカー・サービス提供者のせいにすればよい」とでも言えるような、自己責任とはかけ離れた所にあるようなアメリカの姿です。
いずれにしても、こうした自己責任が希薄になってゆく背景に、生活の豊かさ。があるのではないかと思います。豊かになって、緊張感が減り、今の幸せは永久に続く。何か問題が起こるとすれば自らにあるのではなく、他にある。といった考え。
特に、豊かさをつくりだした世代ではなく、既に豊かさの中に生まれ育った世代にこうした考えが広がります。そして、これは、もちろん日本だけでなく、先進国共通の課題と言っても良いでしょう。
豊かさと引き換えに失った緊張感を取り戻さないと、自己責任によるメリハリのある成長はできません。
私達、現役の責任世代が、自己責任をしっかりと認識しながら生活しなければ、それを見ている子供達は、更に悲しい結果を見る事になるでしょう。
自らに責任を持って日々生活をしなければならないと思います。
2011.11.10
大場規之
>スティーブ・ジョブスが亡くなった
私の心の中ではいつまでも生きつづけます。
>秋祭り
各地で開催されています。100年、200年続く祭りが賑やかなのも素晴らしいですが、今始まってこれから300年続く祭りがどれだろうか?興味があります。
>秋、高校1年の文理選択
多くの学生や親が悩んでいます。やっぱり日本の受験システムの大きな問題の一つだと思います。
>お陰さまで勉強が楽しくなったようです
親御さまから頂いくこうしたお言葉は塾講師の最高のビタミンです。
>震災から7カ月
もう7カ月。まだ7カ月。
>放射能
福島視察後「移すぞ」といった閣僚にまだ怒りが収まりません。
>円高
30年前私が初めてアメリカに行った時のレートは240円。80円以下の今、全ての物が3分の1以下で買えちゃう!
>センター試験
受験料の振込締め切りもあと数日。「大安」を選んだり、縁起のよさそうな名前の郵便局を選んだり・・・全ての塾生が第一志望に受かりますように!
>小沢一郎と支持する政治家たち
国の為にいもういい加減にしたらいかがですか?
>クリントン外務長官「減り続ける日本からの留学生増やす」
大賛成!
>リベリアの女性大統領、エレン・サーリーフさんノーベル平和賞
女性の地位向上に大きな貢献をしたそうです。日本の若者も女性の頑張りが目立ちます。男も頑張れ!と言いたくなります。
>イチロー200本安打ならず
お疲れさまでした。これでよかったと思います。
>日本の世界最速コンピュータ「京」輸出へ
やっぱり世界一でしょ! 蓮舫さん。
2011.10.10
大場規之
静岡県内における高校受験では、内申点が大変重要です。
特に、中学での進路指導の多くは内申点による指導になっていると言われています。また、確実性を求めて一つ下のランクの学校を薦める傾向も依然根強く残っているようです。
内申点重視、特に、内申点の「総合点重視」とは、簡単に言うと、
「A君は内申点が40だからX高校は難しいけれども、Y高校なら何とか・・・」
「Bさんは内申点が30だから、Z高校に行くためには35位にはしないとね・・・」
といった具合です。
公には、内申とテストとの総合評価による選考。と発表はされていますが、現実的には、模擬試験の結果と内申点、その合否などの傾向の分析結果を見ると、内申点重視の高校側の選抜結果が見て取れます。
そして、レベルが上がれば上がるほど「内申点で決まる傾向」が弱まりますが、それ以外は内申点が大きなウェイトを占めていることは様々な分析結果で表れています。
ですから、数学だけがすごく得意。
技術家庭は誰にも負けない。
といった生徒は受験では戦いにくいですし、
トップ校と言われる進学校に進むためには、
体育や音楽、技術家庭などの実技系の教科もまんべんなく常日頃の高評価を得なければならなくなります。
この受験スタイルが良いか悪いかは別に議論しなければなりませんが、少なくとも今の静岡県内の受験ではこうした方法が採られている以上、それに対応した受験対策をしなければなりません。
内申点を上げる
まずは、内申点を上げる努力をする事。
先にも述べましたように、主要5教科に限らず、実技系の教科も含め、
・授業への積極参加(発表をするなど)
・通常授業で行われる小テストの点数アップ
・宿題や提出物、レポートに積極的に取り組み期日までに提出する事
・実技テストへの練習
・定期テストの点を上げること(もちろんですよね・・・)
などが、夏休みなどの休暇時も含め、常日頃から必要になります。
このように、定期テストの結果だけで評価されない内申点アップは、常日頃の努力によってカバーできる部分が多い事を知ることも大切です。
これは、学生として日々努力を重ねると言う、本来すべきことがきちんとできているかどうか。という事が問われていますから、内申点重視の受験の良いところと言えますし、努力をした者が救われやすい仕組みとも言えるでしょう。
内申点と入試テスト、合否の関連分析
もう一つ大切なことは、「内申点と入試テストの結果」と「合否」との関連をきちんと把握をしておくこと。です。
前にも述べましたように、進学実績の高いトップ校など、目指す高校によっては「内申点+入試テスト結果」の、「合否」に与える影響がわかりにくい場合があります。
私達は、塾の使命として、学校ができない、こうした進路を考える上での「わかりにくい部分」を、データに基づいてきちんと説明し、生徒さんや保護者の皆さんが、適切な志望校選びができるように、また、良い結果が残せるように、アドバイスさせて頂く事が大切であることは言うまでもありません。
個人指導を貫く和田塾としては、尚更に、塾生お一人お一人の状況に応じて、また、模試などのテスト結果を一人ひとり見つめながら、目的や個性を大切にして、これから本格的に始まる受験シーズンに向けて適切なアドバイスができます様に努力してまいります。
2011.9.10
大場規之
文理選択。
進学校と呼ばれる高校に通う多くの生徒は、1年の秋にこの選択を迫られる事が多く、夏休み前から進路を決める大きな決断として、理系か、文系か、子も親も悩み多き時間を過ごす事になります。
文理選択は、前述のように多くの高校が、大学の受験システム、受験教科等の組み合わせに応じて、高校が受験に適応しやすい様なクラス編成、受講科目選択の為に設けられているケースが多く、私達、塾もそれに応じたアドバイスや対応をする事になります。
おおざっぱに言うと、(1)大学の受験の仕組み → (2)受験に合わせた高校の対応 → (3)受験・高校に合わせた塾の対応。という流れになります。
従って、大学も、高校も、塾も、その流れの中で指導が行われ、もちろん、学生も、家庭も、その「文理選択」の波の中に泳がざるをえなくなるのです。
文・理 選択の基準は?
文理選択。自分の進路として、文系か理系を選ぶ場合、何を基準に選ぶでしょうか?
数学が得意 → 理系
古典が得意 → 文系
これは何となくわかりやすいですね・・・。
では、
数学は苦手だけれども生物は好き。
社会系は苦手だけれども英語は好き。
・・・ん~ん。困ってきますね。
では、システム系の仕事に就きたい。と言う時、
理系に進むべき?
文系でもOKっていうし。。。
そして、もう一つ。心理学を学びたい。
実は心理学って、「統計」の世界だって知ってますか?
文系だと思って進路選択したら、苦手な数学をやらなきゃいけない・・・
なんてこともあります。
更に・・・外国語。
英語が得意 → 文系? ではないですよね。
英語は、今やどんな分野でも必須ですから。
知れば知るほど、考えれば考えるほど、今の高校の、文系、理系の選択に迷いを感ずるようになるのです。
もちろん、和田塾の各校舎長や講師は、塾生の皆様のそうした悩みへのご相談に、喜んで対応させていただきますのでご相談ください。
文理選択への疑問
皆さんはこの文理選択に疑問をお感じになった事はありませんか?
私は、日本の歴史の中で、文系、理系という分類が生まれ、親しまれていることについて、それはそれでよしとするものの、(どんな分類でも何かしらの問題はあると思いますから)
- 一度文系に進むと理系と言われる世界に進みにくい(文転は可能でも、理転は難しい)
- 文系・理系どちらとも言えない生徒が必要以上に悩まされる(その数は増えている)
- 選択しなければいけないポイントが、高校の早い段階である事が多い
等の点で、改善されるべき点を多く含んでいるのが今の仕組みだと思います。
おそらく、これらの問題(?)は、多くの高校の、高校側・先生側の指導のしやすさゆえのクラス編成という仕組みが、過去からずっと同じ形で残っている事が影響しているからだと思います。
文理融合 と 「個」への対応
前述のように、大学の受験対策から生じている事ですので、大学入試のスタイルが変わらないと一朝一夕には変わりえないでしょうが、その大学では、理系・文系と言った分類ではなく、世界標準とも言える、自然科学・人文科学・社会科学といった分類が多くみられますし、さらには、そうした旧来の枠組みにもとらわれない「文理融合の教育」といったものも見られるようになってきました。
アメリカ等では、リベラルアーツといって、大学4年生まで文理融合型の総合教育を受けられるという仕組みもあります。
高校での文理選択も、より幅を持たせ、例えば「文理にまたがる様な選択」を希望する生徒がいればそれにも柔軟に対応できる、多様な選択システムが広がる日が来る事を願っています。
常にひとくくりで見がちな日本の教育ですが、こうした所でも「個」を見つめた教育が望まれているのではないでしょうか。
もちろん和田塾は常に「個」を見ています。
どんな対応でも可能です。ご安心ください!
2011.8.10
大場規之








